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文系トップが理転して苦しんだ話(1)


血迷った契機 


 今回、受験に関して自分のプロフィールをさらそうと血迷ったのには理由があります。
 それは、「やりたいこと、やってる?」と考えたからです。
     「ただ何となくで勉強しているのでは?」ということです。


 そこで、数ある受験体験談の中でも稀な経歴を持つ僕(むしろバカ)が、これから受験戦争に飛び込んでいく後輩たち、大学へ、やりたい放題やってきた僕の過去を暴露して、
  
     「こんなアホもいるんだ!おもしろそうだな!」

 ・・・なんて受験勉強の気晴らしに見てくれたらなって思います!
(気晴らしにしてはだいぶ重たい内容ですが......それに、僕自身やりたい放題やれてるか怪しいです。)



みんなの勉強観(つまんないんで、すっとばしてもいいです)

  

fig.1 ベネッセ教育総合研究所による高校生の進学意識調査結果 
   高校生はどのように志望する大学を選んでいるか[1]
   URL:http://berd.benesse.jp/koutou/topics/index2.php?id=2583


 例えば、これはベネッセ教育総合研究所が2013年三月に全国の高校三年生(進学先決定済み)とその保護者各1181名に対して行った意識調査の結果ですが、明確な志望動機を持たない③と④の、特に職業や学問にこだわりを持たず進学する学生の数が全体の三割を超えています。まあ、これにはおそらく大学に入ってからやりたいことを探していけばいいだとか、親や教師、友人に勧められて決めただとか、偏差値的に最良な大学にしただとか、色々あると思いますが、それでも三割は多いと思います。さらに、少子高齢化に伴い大学の定員割れ、ブランド価値の暴落が続いているので、③と④の割合はさらに大きくなっていると予想され、真剣に大学で何がしたいか考えずに入り、違和感を感じて中退してしまうようなもったいない人たちが増えているのです。


 では、大学生はどうでしょうか?


  fig.2 ベネッセ教育総合研究所による大学生の意識調査の統計結果 [2]
  第3回 大学生の学習・生活実態調査報告書 ダイジェスト版 [2016年]
  http://berd.benesse.jp/up_images/research/3_daigaku-gakushu-seikatsu_04.pdf


 例えば、これはベネッセ教育総合研究所が全国の大学生4948人に行ったインターネットアンケート調査の結果なのですが、上記のグラフは大学生の学びの機会についての統計結果です。様々な項目についてなされていますが、特に注目したいのは、「授業で出された宿題や課題はきちんとやる」「授業とは関係なく、興味を持ったことについて自主的に学習する」の二つの項目です。前者では85.9%と高いのに対し、後者は59.7%と比較的低く、さらに、「授業で興味を持ったことがらについて自主的に学習する」も同様に59.7%と低い値となっています。ここから何が言いたいかというと、
「授業の理解・単位・体裁を保持するために宿題はやるが、自分から関係ないことを勉強しようとしない」大学生が4割強いるということです。
 つまり、授業に出席し、課題をこなすことにはまじめだが、自分から学ぼうとはしない、ということです。アルバイトやサークルに打ち込んでいて、勉強以上にやりたいこと、やらなければいけないことが多いのも一因かもしれません。しかし、まとまった時間の中で勉強できる最後の期間だとわかってないんじゃないか、と思います。
 総じて、学生は勉強に対する認識が甘く、ただの興味や気まぐれ、向き不向きだけできめてるんじゃないかと、なめてんじゃないかと、そう思います。大学の学費は年間50万から200万もかかっている。大学での学びは自分へのペイメントだと捉えなくてはいけないと思います。


受験


 センター試験まであと一か月。このころになると、受験生は大いに焦り始め、模試の判定と真剣ににらめっこしているんだと思います。
ここで問題となるのが、志望校選び!自分の判定から、安全な志望校を選び、他にもいくつかチャレンジ校、安全校を選んで、受験に臨むのでしょう。
理想の志望校が手の届くところに近づいてきた人もいれば、理想の志望校から遠のいていく人もいて。教室の中にはピリピリした殺気だった雰囲気が漂い、内臓が締め付けられるような高揚感に襲われていることと思います。


 一日一日が着実に過ぎていき、どうしてこんなに早く時間が過ぎるのかと思うことでしょう。頼むからもう少し待ってくれ!と。必死に問題集にかじりついていることでしょう。


 それほどに、大学生活というのは楽しいのです!とにかく楽しい!大学生になれば、自由な時間が増え、バイトにサークル、部活に、恋愛(筆者は安定の童貞です。ご安心ください)、勉強(人によりますけど.....)・・・
 自分のやりたい!と思うことを実際になんでもやれる!最後のモラトリアムです。
(ただ、やりたいことが誰しにもあるとは思いません。むしろ、なくて普通だと思います。僕もやりたいことはブレブレです)


 だからこそ、本来、大学選びには細心の注意を払わなければいけない。自分の、全力で謳歌したい思いに応えてくれる大学を選ぶのは、パートナーを選ぶのに通じるところもあります。(彼女募集中笑笑)だって、最後ですよ!後悔が絶対にないような決断をしてほしい!そう思います。
(と、「きれいごと」を並べ立てたりしましたが、僕としては、大学に入って後悔している人を見るとひどくばからしいと思うのであって、本心では、後悔してほしくないとは全く思っていません。だって、偽善じゃないですか? 僕に何のメリットがあるんでしょう?だから、この記事は、鬱憤のたまった僕の独り言兼愚痴兼息抜きです。真に受けなくて結構です)
 


fig.3 僕が高3の時に受けた全国統一記述模試で、総合点がたしか全国で13位だったときのものです。国語や英語は無双してましたね


僕の経歴 
 (注意)
※ここから筆者のプチ自慢、および、少々過激な表現が含まれます。
 吐き気を催した方はお引き取りください
 なお、「きれいごと」を語るつもりはありません。また、こうしろああしろとも言いません(できるだけ)。成功者が語る成功哲学なんて傲慢でしかないですしね。経験だけ語ります。実際、受験というのは「能力」「偶然」というどうしようもない要因によって支配されており、人生の理不尽さの凝集体のようなものですので。某教育機関が「やればできる!」と言っていますが、僕はこの言葉は本当にきれいごとだと思っていて、まず、「やれる」環境にある人しかやれないという問題、次に、あたかもやった人万人ができるかのよう表現の問題があると思います。エピジェネティックな要因(後天的要因)の影響も大きいですが、やはり、遺伝的要因も無視できません。その不条理をわかったうえでお読みください※


 差別


 社会には多くの差別があります。人種、年齢、性別、学歴・・これら差別がはびこるのは、人間の本質として自らと異なるものを排除しようとする生理学的性質があり(進化の適応の結果)、それが社会化され、差別構造が形成されるからだと思います。(要考察)同様に、大学にも差別があります。拭ってもぬぐいきれない差別。


文系と理系」の差別です。


文系は文系、理系は理系で、社会的に全く別のことが期待されます。文系で言えば、弁護士、理系で言えば医者など。「文系だから、科学には興味がない」「理系だから政治なんてどうでもいい」・・・
高校でなんとなくした決断が人生の方向性を著しく制限し、それはまるで無意識のマインドコントロールであり、自分の興味関心に対する繊細な感覚を奪います。


 こうした文系と理系の差別構造は日本特有で、海外ではあまり見られません。日本では、理系に圧倒的アドヴァンテージがありますが、イギリスのオックスフォード大学など、海外では文系学問の人気も比較的高いです。しかし、だからと言って、海外に倣って文理融合型の学部を作ればいいということではありません(京都大学には総合人間学部というのがありますが)。文系、理系、互いに大学での専門性が強く保証されていることは最も大切なことの一つですから。
 そうではなく、お互いに耳をふさぎ、偏見が横行している状態が問題なのです。お互いの世界の中だけで満足している状況が、問題なのです。(要考察。)


 そんな中、一人のクレイジーな大学生が現れました。
 それが、この
 文系理系の垣根を超え、いや、垣根を踏み荒らして壊し、更地にしました。だって.....邪魔じゃないですか?僕は普段乱読するのが好きで、いろんな本を読むのですが、例えばある物理学の本を読もうとしたときに、物理を履修していないから駄目です、とか、理由になってないじゃないですか?本来学問というのは、自らの知的欲求を満たすための極めてエゴな営みであるはず、あるべきなのに、その自由が認められないなんて!
 これは、そんな思いから、高校三年生夏休み真っ盛りの時に文系から理系に転身した狂った一人のバカ学生の物語です。どうか、ご清聴お願いします。
 

  fig.4 高37月の進研記述模試の結果


 元々文系だった
 
 僕は、元々文系でした。理由はいたって簡単で、当時太宰治や夏目漱石をはじめとする純文学にどっぷりはまっており、小説家になること以外考えもしなかったからです。また、哲学にも心酔しており、特に、キルケゴールに強い影響を受け、自分なりに人の生の固有性について考えたりしていました。大学では文学部に入って、本に埋もれながら自分の世界に身をうずめていくことばかり考えていました。(僕が思うに、自分だけの固有の世界を築き上げ、その中で悠久の時を過ごそうとする行いは、人間の本質的な欲求なのではないかと思います。世界が壊れ、自己を失う恐怖に怯えながらも、その時(つまり死)が訪れるまで楽園を築こうとするものなのだと思います(要考察))
 そんな、受験を半年後に控えた夏休みの頃。僕は一冊の本と出会い、衝撃を受けました。
「利己的な遺伝子」という本です。リチャード・ドーキンスという高名な進化生物学者が書いた本で、遺伝子は遺伝子そのものに前進的意志があるかのように振る舞い、生物の有機体は遺伝子が生き残るための生存機械でしかなく、遺伝子の生存こそが、生物の最大の本質だとする理論は、僕をあっという間に虜にしました。文学、哲学で散々考えてきた最大の問い、「生の価値性」が、科学では、「遺伝子の生存」と、この一点のみで説明されるという簡潔さ!!この世界の複雑な事象が単純明快な理論で説明可能だという事実!!(要考察。Stephen William Hawking博士は万物の理論などないのかもしれないと弱腰になっていることに少しショックを覚えてます。)さらに、理論を支えるエヴィデンスの確実性!!その時、僕の世界は完全に壊れ、新しい世界に入ってみたいと思うようになりました。
 そう!理転です!


~(2)へ続く~


参考文献
[1] 

[2]  

pdf:http://berd.benesse.jp/up_images/research/3_daigaku-gakushu-seikatsu_04.pdf
タイトル前の画像:











 

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