living-on-my-own-wayのブログ

Book review,some advice about entrance exam in Japan,Talks about Biology

われわれはなぜ死ぬのか~死の生命科学~(柳澤桂子)を読んで

 

 死について考えたことはあるだろうか?人は、生きていく上で不都合な事実として死を捉え、死を思考の枠外へ追い立てる生物だ。では、他の生物ではどうだろうか?他の生物にとっても、死は不都合なのだろうか?そんな考えから、手に取ってみたのが本書であり、期待に十分応える働きをしてくれた。そこで、本書のレビューを書こうと思う。


 生命科学でいうところの「」は、普段私たちが考える狭義の「」とは大きく異なる。その起源や多様性、メカニズムを知れば知るほどに、私たち人間もまた、地球上あらゆるところに存在する生命のワンピースであり、死は生を支えるダイナミックな営みだと分かる。
 本書では、生命科学を縁遠いものだと敬遠していた人に非常に適している。人間を生物と考えると、生と死のプロセスはどう見えてくるのだろう?本書で出てくる多彩で魅力的な著者の言葉につられながら、思いもつかないような生命の世界に入っていく......
(著者柳澤桂子さんの想像力豊かな物書きには感嘆した。ただし、生物学の専門用語も多いため、科学的リテラシーの乏しい人には少し読みづらいかもしれない.....)




第三章 生の終わりの多様性
 人間の死だけを考えると、老化は切り離せないように思われる。
 しかし、生物の世界を一度覗き込むと、老化が死に先立つとは限らないことがわかる。
 第三章では、そんなアブノーマルな生命観を持つ生物の世界が描かれている。
 まず、サケ。太平洋サケ属の仲間は長い間海洋を回遊し、再び産卵のために故郷の河に戻ってくる。産卵時、サケが猛烈な勢いで河を上がっていくことは有名だ。北海道の石狩川を遡上するサケの大群をご存じだろうか?一度現場に立ち会ってみたいものである。サケの産卵は大きく語られる一方、意外にもその死にざまは語られない。産卵後、サケはどうなるのか?死ぬのだ。実際には、性ホルモンの働きで体中のすべてのエネルギーが生殖のみに注がれるため、死ぬのだ。あっという間の出来事である。
 次に、メタセコイアという植物を知っているだろうか?生きた化石シーラカンス同様、メタセコイアも生きた化石と呼ばれる植物である。驚くことに、メタセコイアという植物には老衰が確認されていない。茎頂分裂組織の増殖能は無限といっても過言ではなく、非分裂細胞も数百年生きるらしい。個体の寿命は数千年を超える、ということだ。
 以上のように、生物世界には、突然寿命が尽きる生物もいれば、老化することなく(半永久的に成長し)、何千年も生きる生物もいる。
 つまり、「死は生を支えるための非常にダイナミックな営みではなかろうか?」



第五章 死の起源と進化
 生物の死とは、生物体を構成する全細胞の死である。第五章では、初期生命体にとっての「死」や、個体の多細胞化と「死」、プログラムされた細胞「死」について、進化・発生・遺伝学的な側面から考察しており、「生命と死の起源」に強い興味がある人に一読を勧めたい


第十章 死とは何か
 多細胞生物にとって、生きるとは、少しずつ死ぬことである。私たちは死に向かって行進する果てしなき隊列である。三十六億年の間、書き継がれてきた遺伝情報は、個体の死によって途絶える。個体の死は三十六億年の時間に終止符を打つ。生殖細胞に組み込まれた遺伝情報だけが生き続ける。[1]
  ここで、あえて無視し続けてきた側面について考える必要がある。つまり、生物学的な側面だけでなく、心理学的な側面を十分に考慮する必要があるのではないか?三十六億年という想像を絶するような長い時を生殖細胞を通して受け継がれてきた遺伝情報が消滅する瞬間としての、生命の大きな流れからそれ、死の運命を負わされた細胞が形成する個体が消えていく瞬間としての、そこに宿る意識の受け止める、その人を取り囲む人々の感じるなど、死は決して、脳波が平坦になった状態だけでもなく、心臓が止まる瞬間だけでもない。
 私たちは、死を運命づけられてこの世に生まれてきた。しかし、その死を刑罰として受け止めるのではなく、永遠の解放として、安らぎの訪れとして受け入れることができるはずである。また、死の運命を背負わされた囚人として生きるのではなく、誇りと希望をもって自分に与えられた時間を燃焼しつくすこともできるはずである。
 つまり.......
        死は生を支え、生を生み出していくのだ




参考文献:[1]われわれはなぜ死ぬのか~死の生命科学~ 




 









×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。