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真実について思うこと

 プラトンのイデア論にしても、人間というものは真実というものの実存を信じてやまない。しかし、人間の意識からではなく認識対象となる物質の側から見たとき、この世界は最初から真実も、嘘もなく、ただ厳然たる事実のみがあると悟るかもしれない。世界に存在するすべての人間は、そうした厳然たる事実の中から自らに都合の良い事実だけを真実と誤認して生きている、と。ただ、この現状を変えるすべを人間は持たない。なぜなら、それよりほかに生きるすべを獲得できないからだ。人間とは身を覆いたくなるような恥を抱え続ける惨めな生物なのだ。


 ここで、一つ思うことがある。世界に存在する人間を外部から観測する観測者の存在を仮定したとき、観測者から見た人間の真実とはなにか、と。仮に宇宙人だとしよう。まず、彼らは人間との交流を図り、人間の文明度を知ろうとするかもしれない。リチャード・ドーキンスの言葉を借りれば、その際彼らは人間が自己の存在理由を解明したかどうかを指標の一つにできるという。存在理由の実存を問うのだ。そこで、人間の生態を徹底的に調査し、宇宙人はあることに気づくかもしれない。
 つまり、人間が自らの存在に理由、真実を求めるとき、真実とはされなかった膨大な数の「非対称な」事実が現出するため、人間の理想を粉々に破壊する事実、自らに不都合な事実こそことごとく真実であるように思われる可能性が浮上してくるのだ。


 したがって、事実のプールから微量の真実がくみ取られる状況下では、真実は形の定まらない流動体のように、僕は感じるのだ。
(あたまが限界のため、自分でも何かいてるかわかりませんので、注意)


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